跡を継いだ製麺工場と、自ら起業した製塩業を経営。 過去、稼業でありその後閉館した「劇場・湧楽座」を再興。 一方で、青年期に志した俳優・歌手の経験を生かし、現在も歌や、オリジナル講談を制作・発表。
オホーツクの「ものづくり」の第一人者として今日に至る。